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まえがき
株式会社 写真植字機研究所
社長 石井 裕子
近ごろ日常生活の中で目に触れる印刷物を眺めますと、日毎に石井文字がふえてきているのを感じます。新聞・雑誌・パンフレットなど、今まで活字で組まれていたものが、知らぬ間に写真植字に変っているのです。「石井さんの文字には力がない」などと嫌われた初期の頃を思い出しますと、まことに不思議な気がいたします。「最近は石井文字の指定が多くなって、写真植字機が無いと不便で困るから」といわれて設備をされる方がふえております。現在では、特に商業デザインの分野では、石井文字はなくてはならない存在になっていると思われます。しかし、石井文字は写真植字機と密接不可分のものなのです。父は写真植字機を作り、それに石井文字という生命を吹き込んだのです。
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私はこれらの印刷物を見るたびに、写真植字機を育てあげた苦難の時代を思いおこすのです。写真植字機の機体設計、レンズの研究、文字設計と、日夜をかけての研究生活で、私が子供の頃は父と顔を合わせることがありませんでした。楽しくいっしょに遊んでもらった記憶も残っておりません。父はすべてを写真植字機にかけ、工場へ行っては試作機のかたわらでくびをかしげ、家に帰っては研究室にとじこもり、机の前で黙々とペンを動かしていた父の姿しか思いおこせないのです。
……〔中略〕……いまや世界的なコールドタイプ時代を迎え、今になって見れば当り前のことと考えられる写真植字機ですが、四十数年前はまぼろしの存在でした。父が自分の生涯も家庭もなげうって、よく写真植字機に賭けたものだと、その勇気と忍耐には頭が下がる思いです。私は父にかつて、「なぜ家庭を犠牲にしてまで写真植字機に取り組んだのですか」と質問をしたことがありました。父の答は、「自分はこの世に生まれたからには、国のためになるような仕事をなにか残していきたい。写真植字機は生涯の仕事として、十分値すると思われたから取り組んだので、どんなに苦しくても悔いはない」と申しました。明治に生まれた人は、国に対する使命感を担って生きてきたように感ぜられます。……〔後略〕……
偉い人間
東京写真大学名誉教授
鎌田 弥寿治
東京や大阪のような多くの都市で長年の間大衆に親しまれた、あのチンチン電車が近頃ポツポツ姿を消しつつあるのは何だかお気の毒な気がする。でもこれは世界共通の現象であるからどうするわけにもゆかぬ。
他人ごとではない、私が今から約半世紀前、欧州からの帰途、フランスのマルセイユから私を日本に運んでくれたあの八幡丸というかわいい汽船など、今ではどんな旅行者にも全然相手にされぬであろう。というのはマルセイユを出て日本の神戸港に着くまでの航海日数、正に四十二日を要したこともその理由になると思う。
今日(四月六日)の新聞を見ていたら、蚕を養うのに桑の葉を食わさず、澱粉やしょ糖や大豆粉から造った、いわゆる合成飼料を食わしても蚕は立派に成長することが発見されたとある。幾百年間の人間の固定思想が根本から打ち破られたものである。
このようなことを考えると、新聞や書籍や雑誌を作るために、五百五十年もの長い間、印刷界で神様のように尊敬、愛慕されたあの活字、鉛と錫とアンチモニーの合金で造ったあの活字が、昨今、どうやら全世界の印刷界から追放される傾向顕著なりと聞いても、何の不思議もないような気がする。
石井茂吉伝記編纂委員会『石井茂吉と写真植字機』、株式会社 写真植字機研究所、1969年、「偉い人間」より引用
しかしながら、今から約五十年もの昔に、将来印刷界、特に活版印刷界には右のような突飛な革命が起こることを予想し、自分が身を挺してこの予想を実現せんとした人間は非凡な能力や学力等を具備した天才人であることが想像される。
フランスのジュール・ベルヌという人は、今から百年もの昔に、すでに「将来は人間が月世界に旅行することも、また、二ヵ月余りの短時日で世界を一周することも可能になる」と予言したそうで、実に偉い奴である。印刷界から活字を追放することも将来必ず可能になると初めて考えついた人間も、ちょっとこのジュールに似た人間らしい。

私は石井茂吉さんとは、大正十二年頃に初めて知り合い、以後約四十年間交際したが、最初はそんな偉い人とは思わなかったが、だんだん石井さんという人間が分るに従い、敬慕措く能わざる気持になった。氏は私より六歳も年若の人、見かけはそんなに偉そうに見えない。初めて会った時など、質素な黒詰襟の黒ボタンの洋服姿、唇をヒン曲げてお話される。ちょっと私の学校(芝浦高等工芸学校)の新任門衛さんかと思った。でも後になって石井さんの学歴などを知った時、私は驚いた。
石井さんは東京の京北中学校から第一高等学校を経て東京帝国大学の機械科を卒業した工学士、しかも中学生当時の校長さんが、あの有名な井上円了先生であり、この校長さんが「この子は稀にみる天才児で大きな将来性を持っているから是非とも上級学校に進学させよ」と勧誘し、それから順に向ヵ丘の一高を経て、東京帝大工学部機械科を優秀な成績で卒業された秀才と承った。
これほど学歴に富んだ人間は広い日本中にも沢山はいない筈だから、氏はどんなにエリート意識を発揮して大いに威張っても誰も何とも悪口はいえない筈だが、事実はまったくこれと正反対。石井さんは温厚着実、しかも極端な努力家で、写植機を思いついた初期など、他人から笑われてもそんなことは空吹く風と聞き流し、猛烈に一旦思いを決めた仕事に全身を投げ込む人であり、また長い写植機の研究期間中には貧乏神という神様の大軍や家族的の不幸やその他戦災、火災等等の強敵に猛襲されたこともあるが、これらを皆征服し最後の勝利をかち得て、現在の写真植字機研究所の基を築いた。ほんとに偉い人間である。



Lightningブログカード_blank無理 2024-08-04 -> bcard, raku, dmm
この偉い人間の歩いてきた道、その紙碑がこんど発刊されるという。まことに喜ばしいことである。その誠実、努力、熱意、勇気、知恵、才能、技術、ものの考え方、仕事のしかた――これらが昨今の無秩序とも思える若い人々にとって、好ましい道標となるよう願ってやまない。
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